会報誌「サングラハ」第195号(2024年5月)について

会報誌「サングラハ」今号の内容についてご案内致します。

2024年5月25日発行、全頁、A5判、700円

目次

目次

 ■ 巻頭言 …………………………………………………………………………………………………… 2
 ■『正法眼蔵』「梅華」巻 講義(2) ………………………………………岡野守也… 3
 ■「私がここにいるわけ」――高校生に語るコスモロジー(9) …高世仁 …… 12
 ■ グローバルな問題を解決するために人々が持つべき内面について
  ――いくつかの提案を四象限コスモロジーで評価する(10) ………増田満 …… 21
 ■ 私のサングラハでの学び(5) ………………………………………………毛利慧 …… 30
 ■ サングラハと私(10) …………………………………………………………三谷真介… 32
 ■ 講座・研究所案内 …………………………………………………………………………………… 43

巻頭言

研究所主幹代理 高世 仁

「食は権利、うんこは責任、野糞は命の返しかた」
こんな標語を掲げる思想家、伊沢正名さん(74)と知り合いました。一九七四年元旦からまる半世紀、毎日野糞をし続け「糞土師」を自称しています。

伊沢さんは、私たち人間が、生態系の食物連鎖という循環の中で、その一員としてしか生きられないことをつねに自覚し、その観点から世直しをすべきだと主張します。食べ物を自然からいただく以上、排泄物は水洗トイレから海に流すのではなく、野糞をして土に返し、菌類や小動物に分解、吸収してもらうのが当然だと言うのです。茨城県のご自宅「糞土庵」に一泊して、サングラハのコスモロジーの考え方をご説明すると、伊沢さんは強い関心を示してくださり意気投合しました。

翌朝、彼が自宅近くに購入した七千平方メートルの森「プープランド」(プープとは英語でうんこの意味)に行き、広い山の斜面で野糞を試してみました。
木陰にスコップで穴を掘って用を足し、糞を落葉と土で覆います。お尻は三種類の葉っぱで拭いて、最後は水で洗って仕上げます。
野糞を終え、土の中の無数の微生物が喜んでわっと私の糞に群がるさまをイメージしました。すると「生態系の連鎖のなかで正しいことをした」という満足感がこみ上げてきます。
人間は自然の循環の中にあるという理屈なら5分でわかります。でも、アタマで理解するだけでは身につきません。ムスリムが一日5回神と向き合うように、野糞という自然と直に向き合う「儀式」を体を使って繰り返すことで身心に沁みていきます。自然=「大いなるもの」に生かされているというコスモロジーを薫習する有効な方法の一つなのではないか、というのが私の実感です。

岡野主幹がコスモロジーを身に付けるセラピーワークとして提唱するなかに、微生物と植物と動物のつながりを感じるワークもあります。(『生きる自信の心理学』)
緑がとても美しくなる季節になりました。
みなさんも野外に出て、「大いなるもの」と一体感を感じるイメージトレーニングを工夫してみませんか。

『正法眼蔵』「梅華」巻 講義 2

研究所主幹 岡野守也

無分別智を超えた覚りの究極の姿

如浄禅師のお説法の言葉から、さらにもう一つを取り上げています。

原文

古仏、上堂示レ衆云、「瞿曇打二失眼晴一時、雪裏梅華只一枝。而今到処成二荊棘一、却笑春風繚乱吹《瞿曇眼晴を打失する時、雪裏の梅華只一枝なり。而今到処に荊棘を成す、却って笑ふ春風の繚乱として吹くことを》」。

現代語訳

先師の如浄禅師が法堂に上がってこう言われた。「ゴータマが眼を失った時、雪の中に梅の花がただ一枝。今ここでトゲ・イバラ〔というつながり合ったかたち〕を成している。かえって春風繚乱〔という様子〕よりも喜ばしい。」

「瞿曇」はブッダのことで、ゴータマ・ブッダの「ゴータマ」を中国語の音に当てて写したものです。日本語では「くどん」と発音しますが、古代の中国語ではもう少し「ゴータマ」に近い発音だったのだと思われます。
前回、説明を落としていましたが、道元禅師にとって如浄禅師は、単に自分に先立つ先生であるだけではなく、永遠に覚った仏です。如浄禅師を非常に深く私淑し尊敬しておられたので、だから如浄禅師のことについても「先師古仏」という言い方を絶えずしています。
法堂とは法を説くお堂のことで、「ほうどう」ではなく「はっとう」と読みます。そこにお坊さんたちを集めてお説法をしました。
ちょっとだけ脇のことを言うと、中国の禅堂では日本の常識と違って、お説法の時にみんなが椅子に座ってお話を聞くのではなくて、立ったまま聞きます。ずっと立ったままですから、長時間の説法はけっこう辛かったのではないかと思います。
それはともかくとして、「眼晴」とは眼のことで、覚りのことを言っています。ゴータマ・ブッダの覚りのエッセンスについて、「『覚った覚った』と言っている間はまだ覚りが浅い。覚ったも覚らないもないところまで行ってこそ、ほんとうの覚りだ」という言い方がされますが、そのことがここで語られています。
もう覚りの眼なんていう話もなくなってしまった時に、雪の中にただ一枝、梅の花が咲いている。つまり、ありのままの姿そのままを、そのままとして受け止めることが究極の覚りだと。唯識を一緒に学んだみなさんと共有できる概念、言葉であえて表現すると、無分別智のところでは覚りの究極ではなくて、無分別後得智まで行って覚りの究極の姿ということになります。
一切何ものも分別せず、空であり無であるというのは、もちろん梅もなければ私もなく、何もない世界です。しかし、それを経過した後でもう一回、そこに例えば私がいて、そこに梅の花が咲いていて、そこに何かがあってということになると。つまりほんとうに縁起、如としての世界が、しかしそれぞれの姿でちゃんと見えるところまで行くのが、究極の覚りということです。
したがって当然、ゴータマ・ブッダは一切個別のものは何も認識しない空・無という覚りの深い瞑想を経た上で、しかしあそこに花が咲いており、ここに川が流れているという、ふつうの世界に戻ってこられているわけです。「瞿曇眼晴を打失する時」とは、そういう意味です。
すると具体的な状況でいえば、雪の中に梅が一枝、花一輪咲いている、と。
まだ花は一輪、枝は入り組んでいて、トゲ・イバラというつながり結び合った形を成している。しかし、雪がいっぱいでその中に梅の花一輪という今のほうが、春風が吹いてのどかな状態よりも、むしろ喜ばしいのです。「却って笑ふ春風の繚乱として吹くことを」と。
誰でも春風繚乱はいいなと思うわけです。しかし覚りの境地でいうと、寒い寒い中に梅の花一輪が咲いているこの味わいが、また却ってすばらしい。
その如浄禅師の言葉に、道元禅師が「さらに私がもう一言二言加えると、こういうことになる」とお説法をしておられるのが、次のところです。

(以下、本誌にて掲載)

「私がここにいるわけ」――高校生に語るコスモロジー 9

交流会員 高世 仁

 私の甥っ子で、落ち込みがちな高校二年の男子、宙くんに、伯父の私がコスモロジーを語っていくという設定です。
・・・・・・・
 宙くん、こんにちは。
 こないだ、宙くんの一家とお彼岸の墓参りで一緒になって以来だね。元気?

 お彼岸は、「暑さ寒さも彼岸まで」といって大事な季節の変わり目でもあるけど、サンスクリット語の「パラミータ」を漢語に意訳したもので、仏教でいう覚りの世界、向こう岸のこと。ぼくたちが今いる世界がこっちの岸、此岸。春分と秋分には太陽が真西に沈むから、西方浄土信仰と結びついたらしい。
 でも、もとは仏教行事じゃなくて、お彼岸にご先祖をお参りするのは日本だけなんだって。平安時代から続く行事で、日本人はご先祖をあつく敬ってきたんだね。最近はお彼岸の墓参りに行かない人が多いけど、ぼくたちが今こうして生きていられるのは何といってもご先祖たちのおかげなんだから、墓参りの伝統は守っていきたいな。
 お彼岸でお参りした墓の後ろに、ご先祖の名前と戒名が彫ってあったね。宙くんからみて五代前のご先祖が、会津の本家から分かれてこっちに引っ越してきた。それ以来のご先祖があのお墓に入ってる。「ファミリーヒストリー」というテレビ番組があるけど、ご先祖がどんな人たちで、どんな暮らしをしていたのか、想像するのはおもしろいね。

ご先祖をたどる旅のはじまり

 これまで、宇宙の始まりのビッグバンから現在へと時系列で見てきたけど、きょうは逆に現在から昔にさかのぼって、宙くんという存在はどこからきたのかを考えてみよう。

 人は誰でも、自分でこの世に生まれてきたんじゃなくて、両親に生んでもらう。お父さんとお母さんがいなければ、宙くんは生まれてこない。2人のおかげで、宙くんは今ここに生きている、そうだよね。
 お父さんとお母さんにも、それぞれの父と母がいた。宙くんにとってのお爺ちゃんとお婆ちゃん、つまり祖父と祖母は合わせて4人いるね。その祖父母にもそれぞれ親がいて曾祖父母、ひい爺さんとひい婆さんは合わせて8人になる。宙くんから数えて父母が1代目、2代目の祖父母が4人、曾祖父母が3代目で8人。ここから、宙くんのご先祖をどんどんさかのぼっていったらどうなるんだろう。曾祖父母もそれぞれ父と母がいたから、宙くんから数えて4代目のご先祖が16人。かける2で倍々で増えていくから、5代目は32人。その32人のなかでうちの墓に入ってるのは、父方の男系のご先祖2人だけだね。

 さあ、ここまででご先祖は累計何人になる? 32+16+8+4=60、祖父母まで数えて60人。宙くんのお父さんとお母さん、まだ亡くなっていないけどご先祖に入れて(笑)、プラス2人で62人。5代目のご先祖が32人で、ご先祖5代の累計は62人。いいね?
 ちょっとおことわり。私生児とか養子もあっただろうなんて心配しないで。原則、遺伝的なつながりで親子関係を考えていくので、とりあえず、ややこしいことは置いといて(笑)。
 ここで目をつむってご先祖62人が時間を超えて、宙くんの前にずらりと並んでいると想像してみて。この人たちのうち、名前を言える人は何人いる。曾祖父母あたりだと、もうお手上げじゃない。ほとんどは名前も顔も知らないけど、宙くんとたしかに直接のDNAラインでつながってて、この62人のうち誰一人欠けても宙くんはこの世に存在しない。そうだよね。

(以下、本誌にて掲載)

編集後記

 会報一九五号をお届けします。創刊二〇〇号も近くなってきました。主幹の『正法眼蔵』講義録は、今回「梅華」の巻の二回目です。道元禅師が言葉を超える瞑想の道とともに、真理を語る言葉を非常に重んじていたことが理解できる個所です。また、師の如浄禅師から親しく真理の言葉を授けられた感激が伝わってきて、そこから道元の目指した師弟関係がよくわかります。羽矢先生は次号まで休載され、その後新連載を開始される予定です。今号、高世さんの高校生に伝えるコスモロジーでは、私の存在が全ての生命とつながる奇跡そのものであることが、増田さんの論文ではラワースとトインビーの思想の四象限による評価が、毛利さんのご寄稿では唯識心理学の実践が、それぞれ語られています。 (編集担当)

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