研究所主幹 岡野守也
第二〇〇号の刊行にあたり、最初に長年にわたってサングラハ教育・心理研究所の歩みを支えてくださった皆様に心からお礼を申し上げたいと思います。サングラハは皆様のおかげ・力・ご縁で成り立ち、持続することができています。とりわけ主幹の病気以降、たくさんの方から物心ともに多大なご支援をいただいていること、深く深く感謝しております。お一人ひとりにお礼を申し上げることができていませんが、どうぞご海容ください。
さて、以下改めてお伝えしておくと、長年にわたる私の思想的・実存的探究には、五つの原点というか出発点がありました。
第一は、「死の恐怖」です。
親から聞かされたところでは、私は生まれた時、仮死状態だったそうで、それは後にトランスパーソナル心理学のS・グロフの著作を学んで「そうか、そういうことだったのか」と納得したことですが(拙著『トランスパーソナル心理学』青土社、グロフの章参照)、つまりきつい出生体験がトラウマ(精神的外傷)になったということのようです。そのため幼い頃から死、暗闇、お化けなどがとても怖く、幼稚園児の頃にははっきり「死の恐怖」という言葉も知っていたと記憶しています。
プロテスタントキリスト教(日本バプテスト同盟)の牧師の家に生まれ、父がとても敬愛できる人で、言うことを素直に納得できたこともありましたが、しかしそれだけではなく、死の恐怖を克服する教えとして、自分でいわば主体的に選んでキリスト教を信じていました。キリストを信じる者は死んでも生きる、つまり死後復活し、天国で永遠のいのちを得ることができることになっていて、本気で信じることができれば、死の恐怖は完全になくなってしまうはずですから(実際そういう信者さんもおられました)。
さらに私の仮死産について親から、神に「この子をなんとか生かしてやってください。もしいのちを与えていただけたら、そのいのちはすべて神さまのご用に使っていただいてかまいませんから」と祈った、つまりいわば神との取り引きをしたと繰り返し聞かされ、それを信じていたので、幼稚園生の頃は、「ぼくは牧師になるんじゃ」と言っていたそうです。
しかし、戦後のアメリカ的合理主義・科学主義の影響が圧倒的だった公立の学校に行くようになってからは、幼児の時ほど純粋に信じるのは難しくなってきたように記憶しています。
日曜日に教会で学んでいる時は、もちろん信じている(つもりになっている)のですが、ふだん学校でいろいろな科学・合理主義的知識や考えに触れると、その信仰に疑いが生まれ、するとふと死の恐怖が湧いてくるということが、ずっと続いていました。
と言っても、ふだんは昔のごくふつうの子どものように空き地や野山で友達と遊びまわっていたりしたのですが。
ちなみに小学生の頃は、牧師になるという話はあいまいになり、宇宙飛行士かロケットの発射に関わる人になりたいと思ったりしていました。それが後のコスモロジーにつながっているのかもしれません。
第二は、「戦争」「人はなぜ殺し合うのか」という問題です。
それは一つには、小学校で、平和教育という目的だったのでしょうが、原爆の記録映画(たぶん『原爆の子』というタイトル)を見させられ、あまりの悲惨な光景にショックという以上のトラウマを受けてしまったことによります。何日も心が真っ暗だったことを覚えています。
もう一つは、教会の信者さんで南方への出征体験のある方が、教会の子どもたち向けのキャンプの夜の話として、ご自分の戦争体験を、子どもへのこわがらせの意味もあったのでしょう、虚実とりまぜ、やや誇張して話してくださったことでした。これもまた何日もうつ状態になるようなトラウマ体験でした。
「人はなぜおなじ人を憎んだり、攻撃したり、殺したりするのか」という問いへの、キリスト教的答えは、人間には悪への根源的傾向・原罪があり、それは人間が自分で完全に無くすことはできず、ただキリストの十字架による罪の贖い・赦しによってのみ救われることができる。また、罪の現われとしてのさまざまな悪は、世界の終末にキリストが天からやってきて、すべての人をいったん生き返らせ、その上で審判を下し、信じた者は天国で永遠のいのちを与えられ、信じない者、罪人、悪人は永遠に滅ぼされて無にされるというかたちで最終的に解決されることになっています。
ですから、キリスト教の教義を信じることができれば、人間の悪・罪、歴史上の不条理についても最終的解決を信じることができるわけです。
そういうわけで、小学から高校時代まで、キリスト教の教えを信じることで、死の恐怖や戦争の問題への答えを見出し、なんとか心の安定を得ていました。
そして何となく進路が決まらないままで高校三年の秋になり、それまで何も言わなかった父が、さすがに見かねて「進路はどうするんだ」と聞いてきた時、「そうだ、やっぱり牧師になろう」と、人生の根本問題への答えを持っている、つまり人類を救う教えであると信じているキリスト教を布教・伝道する仕事に就こうと心が決まりました。
第三は、「ニヒリズム」の問題です。
そこで、実家の教会と同じ教派の関東学院大学神学部に入学したのですが、学生自治会の読書会で、八木誠一先生という新進気鋭の聖書学者・神学者の『キリスト教の成立』(新教出版社)という本を読まされ、わかるまで何度も読んで論旨を理解した結果、それまで純朴に信じていた正統派の神話的な教義を根本的に手放さざるをえなくなり、深刻なコスモロジー(世界観)の崩壊―アイデンティティの喪失体験をしました。ニーチェの言う「神の死」とほぼ同質の体験だと思います。
そして、繰り返し述べてきたようにコスモロジーの崩壊は必然的にニヒリズムに到ります。その後の、ニヒリズムをどう克服するか、懸命の探究の道筋は『コスモロジーの創造』(法藏館)など一連の著作に書いてきたとおりです。
第四は、「権力悪」「不平等」「政治体制」といった政治的問題です。
そうしたアイデンティティの危機の時に重なって、全国規模で激しい大学闘争が起こり、私も同世代の全共闘などの新左翼の学生たちと接し、激しい論争をすることになりました。
そうした中で、マルクスやエンゲルスの文献も読まざるを得なくなり、社会主義の歴史についても学ぶ中で、スターリン主義を典型とするような「権力の腐敗」はなぜ生じてしまうのか、正義を目指したはずの政治運動がなぜ恐るべき悪・抑圧的体制を生み出してしまうのか、という問いをも抱くことになりました。
そうした中で私が達した結論は、「右であれ左であれ既成の体制には問題があり、外面の変革が必要なことは確かだが、変革の主体そのものの内面的な変革がないかぎり、取って代わった権力も体制も腐敗してしまう」といったものでした。
それと並行して、ナチズムや戦前の日本の軍国主義などの文献もかなり多数読み漁り、ますます深く考えざるを得なくなりました。
第五が、「環境問題」です。
それまでに抱えたいくつもの深刻な問題に加え、七十年代の初めの頃、有吉佐和子『複合汚染』、ローマクラブレポート『成長の限界』、レイチェル・カースン『沈黙の春』などを読み、地球環境問題が人類の存亡に関わるきわめて深刻な問題であることにも気づかされました。
こうして振り返ってみて、私個人の力には余るあまりにも重い問いをいくつも抱えてきたわけですが、長年かけて、禅、京都学派宗教哲学、唯識、深層心理学、臨床心理学、ウィルバーを核としたトランスパーソナル心理学、現代科学の成果、その他多くの先人の探究と英知の導きによって、なんとか解答の見通しはつけることができたのではないかと、自分では思っています。評価は皆様にお任せする他ありませんし、もちろん唯一絶対・最終の解答ではないことは言うまでもありません。
そうした自分の達した見通しをお伝えし、さらにご一緒に学び・探究をする場として、多数の方のご賛同・ご協力を得て、一九九二年一月にサングラハ心理学研究所(旧名)を立ち上げ、会報『サングラハ』を創刊し、その後、さまざまな論文や著作の執筆、講義・講演、ワークショップなどの活動を続けてきましたが、すでにお伝えしたとおり、病気のため休止せざるを得なくなっているのは、きわめて残念です。
けれども、高世仁主幹代理ほか多数の皆様、何よりも読者の皆様のご協力のおかげで、こうして『サングラハ』の発行を続けることができ、第二〇〇号にまで達することができました。もう一度、心から感謝申し上げたいと思います。
私の今後がどうなるかは天命に任せるほかないと思っていますが、引き続き皆様のご理解・ご協力・ご参加によって、サングラハ教育・心理研究所の学び、探究、発信の歩みが続くことを心から祈っています。病中の執筆で意を尽くせませんが、なにとぞよろしくお願いいたします。